「好きのパワー」で生きるASDの社会人に突撃インタビュー「好きのパワー」で生きるASDの社会人に突撃インタビュー

インタビュー1インタビュー1

大人になってから
「特性」に気づいても、
「理想の仕事・環境」は見つかる

―データアナリスト 岩本友規さん―

ASD(自閉症スペクトラム)の子どもたちは、どんな大人になるんだろう?「好きのパワー」を仕事や趣味にしているASDの社会人にインタビューしたよ。
今回インタビューをしたのは、明星大学発達支援研究センター研究員で、レノボ・ジャパン株式会社データアナリストの岩本友規さん。33歳の時に診断を受けた、ASD・ADHD(多動性症候群)という特性とどのように向き合い、自分らしい働き方を模索してきたのだろう。

発達障害への自覚無く
過ごした幼少期と、
社会人になってからの挫折

── まずは子どもの頃のことから伺わせてください。幼少期はどのようなお子さんでしたか?

【岩本さん】好奇心旺盛な子どもで、幼稚園の頃に色水を混ぜて別の色をつくる遊びが好きだったことを覚えていますね。あとはたくさんの紙に数を書いてつなげて巻物をつくるという遊びがあって、そんな風に規則的に数を数えることが楽しくて好きでした。
小学校に入って高学年にもなると、少しずつ周囲との意識や特性の差が出てきましたね。全然嫌な感じとかではなかったのですが、プロレス技をかけられたりと、やられ役になることが多かったように思います。当時は、足が鍛えられたなという位の感覚で、自分としては楽しかったです。
学習塾に通っていましたが、宿題が溜まりやすいタイプで続きませんでした。書道も同様ですね。家でアニメや映画などの同じビデオを擦り切れるほど見ることが好きでした。

── その後、中学校、高校、大学は、どのような学生だったのでしょうか。

【岩本さん】中高一貫の私立に入ってからは、受験をきっかけに好きになった読書で、休み時間の7割くらいを過ごしていました。たまに友だちと野球やゲームの話をすることもあったのですが、放課後は家に帰ってひたすらテレビゲーム、という日々を送っていました。話してくれる友だちはいるけど、ふと気がつくと友だちを遠くから眺めていることが多かったので、「なんでなのかな?」という感覚や寂しさはどこかで感じていました。
今の仕事につながることで言うと、パソコンにはじめて触れたのは中学生の頃でしたね。ただ、その後パソコンを使って何かをするわけではなくて、本格的にパソコンを使い始めたのは大学3年の就職活動の時でした。どのパソコンを選ぶかに強くこだわりを持って、安くて良いものを見つけるためにメモリの大きさまで調べ尽くしました。その過程の中で、パソコンの仕組み自体にどんどん興味を惹かれていったんです。

── 就職活動では、どのような基準で仕事を選ばれたのでしょうか。

【岩本さん】実は、どの業界を選ぶかという時に、心からこれをやりたいと思うものが見つからなかったんです。それに、何をすることが好きで、何をすることが得意かという、自分自身の思考性にもちゃんと向き合えていなかった。
最終的には、興味があってのめり込んでいたパソコンに関係する仕事ということで、特殊半導体を扱う外資系商社を選びました。

── 社会人として働き始めていかがでしたか。

【岩本さん】新卒で入った会社ではエンジニアの方に技術的なことを教えてもらい、より深い論理回路などを学ぶことがすごく楽しかったです。一方で、後々判明する自分の特性「人に聞くのが苦手」ということをまったく自覚していなくて、配属された営業部では誰にも聞けないし、聞くことが出来ても間違えてしまうという繰り返しで、辛い思いをしました。
新人として任されていた電話番でも、聴きながら書くという「注意の分割」が難しく、こんな単純なことが自分は出来ないのかと挫折を味わいましたね。自信もすっかり無くしてしまいどうにもならない状態にまで来ていたので、「こんなはずじゃないのに」と思いながら出社する日々が続きました。
プレゼンの準備など、時間をかけて知識を組み合わせることは上手く出来たので、入社当時は周囲の人たちも期待してくれていました。でも、いざ実務となるとどうしても思うように行かなかった。その期待と現実のギャップがあまりにも大きいので、周囲の人たちからの理解も得られずに辛かったです。
どうしようもない状況の中でたまたま別の会社をつくるという方がいて、なかば逃げるようにしてその会社に移っていきました。でも結局、その後もミスマッチを重ねて転職を繰り返していましたね。

自分の特性に合わせた、
理想の仕事・働き方を

── 自分の特性を自覚していく中で、発達障害の診断を受けるきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

【岩本さん】転職して通信キャリアの会社で働いていた時に心身に不調が出て、最初は過労によるうつ病という診断を受けました。その後、担当の医師が変わるタイミングで、ADHDの診断と薬が処方され、そのうちにASDも診断されました。その時にやっと、自分の特性と向き合うことができたんです。

── 診断を受けて、生き方や働き方も変わったのでしょうか?

【岩本さん】現状を改善するために本を読んだり話を聞いたり工夫をしてみたのですが難しく、これは生き方自体を考え直さなければいけないなと覚悟を持ちました。そこで自身の特性の振り返りをしてみた時に、仕事の中でもデータ分析の作業をしている時には時間を忘れて没頭している自分に気付いたんです。
それからは好きでのめり込んで作業が出来る、データ分析に絞って転職活動を始めたという感じでしたね。診断を受けたことで、障害者枠雇用で応募することができ、未経験の職種でありながらも企業側に受け入れてもらってスタートできたのはありがたかったです。

── データ分析のどのような点が好きだったのでしょうか。

【岩本さん】未開拓のデータを自分の角度で分析して、未来の予測に適用していくという仕事に大きなやりがいを感じていました。それこそ許されれば朝から夕方まで、お金を払ってでもやりたいくらい好きな仕事で。自分の仮説を踏まえて結果を組み立てていく作業は、本当に楽しいんです。
この会社では様々な角度からのデータ分析に集中できたので、とてもやりがいがありました。デスクが高いパーテーションで区切られた集中できる恵まれ環境で、一つのことにひたすら没頭出来るという仕事内容なんです。上司と自分だけの関係性だけで完結する業務から始められたことも良かったと思いますし、仕事の成果がすぐにフィードバックされることも自分には合っていたと感じます。

── やりたいことと得意なことが、はじめてかけ合わさったということでしょうか。

【岩本さん】そうですね。それにASDの特性として仕事の中でも雑談や何気ないコミュニケーションが自分は苦手だったのですが、データ分析のことだったらいくらでも話すことができる。好きなものが題材となるので、それがコミュニケーションのきっかけになるということはとても大きな変化でした。

── それは仕事以外のことにも言える、大切なことだと感じます。

【岩本さん】はい。「好きなもの」があるということは、仕事だけに限らずそれを共通項にコミュニティの中にも入れるし、人と繋がる接点となるので、とても意味のあることだと実感しましたね。電車でも動物でも何でも良いんです。「好き」の前では多少特性があるとか、変わっているとかはどうでも良くて、共通の言語を持って理解し合うことができると思います。
好きで得意なデータ分析の仕事で頑張ると決めてからはじめて、自分らしい生き方や働き方が実現出来たと感じています。

興味の芽を育むことが、
将来につながる

── 「好き」ということがコミュニケーションのきっかけにもなる。それは理解できても、その「好き」をどう見つければ良いか悩まれている方もいるようです。

【岩本さん】教育、という発想になってしまうと押し付けになってしまいがちと感じています。「本を読ませたいのに、図鑑ばかり読んでしまう」と保護者の方から相談されることが多いのですが、それで良いじゃないですか。もう少し気軽に捉えて、興味のあることにのめりこめたのなら、それを見守ってあげるだけでも良いと思います。
何かを必要以上に与えようとするのではなくて、お子さんの興味関心の芽が自然と出てきた時に、それを大切に育てるための土だったり空気だったり水だったりを、親として用意してあげることが大切だと考えています。

── 将来の仕事選びをどのようにすれば良いか分からないと思われている方もいらっしゃいます。

【岩本さん】「業界」や「ジャンル」ではなくて、具体的な「作業」や「プロセス」という切り口で仕事を見て、得意なことを重視した方が自分らしい働き方が出来るのではないでしょうか。自分の体験談としても、好きなIT業界に入ったのにセールスはどうしても苦手で、そのギャップに苦しんだということがあります。だから、どんな作業をしている時に自分は没頭することができるのか、好きなことや得意なことは何か、ということを考えることで、自分らしい働き方が見つかるかもしれません。
そしてその好きな作業が、業務時間の中でウェイトが大きい仕事がより良いと思うので、それがどんな仕事かという見方で探してみることも一つの手だと思います。

── その時に、親としてどんなことができるのでしょうか。

【岩本さん】自分の身体の細かな機微や感情に向き合って仕事を選ぶことって、なかなか自発的には難しいことだと思います。そこに関しては親が意図的に、ある程度の年齢になったら一緒に考えて気付かせてあげることが大切なのではと思います。

── 子どもの興味の芽を大切にする関わり方として、心がけた方が良いことはありますか?

【岩本さん】一見突拍子もない、無理なことを言い出すこともあるとは思うのですが、「やりたい」という意思が見えたものには出来るだけ、その体験をさせてあげて欲しいと思います。たとえば、フィギュアスケートをやりたいと言ったらスケートリンクに連れて行くとか、興味があって調べたい分野の本を図書館に一緒に探しに行くとか。
本当に好きなことは寝る時間になってもやめようとしないこともあるので、その時は自分だったら「やめなさい」と言わずに、気が済むまでやらせてあげたいなと考えています。
これが正しいという一つの方法論はありません。親として大切にする基準もコンセンサスも、押し付けでは無くて選択肢を提示して、子どもに選んでもらう経験をさせて欲しいと思います。

── 最後になりますが、ASDの子どもを持つお母さん・お父さんへメッセージをお願いします。

【岩本さん】子どもが小さなうちに特性が見つかると、どうしても焦ってしまう方も多いのではないかと思います。でも自分を振り返ってみて、たとえ上手く行かないことが多くて悩んだとしても、30代になってからでも変われるなという実感があるんです。
何より大切なこととして、自分自身が充実して生活しているということを、子どもに見せてあげることが親としての大切な役割なのではないでしょうか。もちろんそれは親だけでは無くて、子どもの好きなことが見つかったらそのジャンルの先に広がっている世界や先輩を見せてあげることでも良いんです。成長してくると親以上に周囲の存在からの影響を受けやすい側面も子どもは持っていると思うので、そんな環境をつくって、選択肢として提示してあげることが大切と思います。

岩本友規さん

明星大学発達支援研究センター研究員。中央大学法学部卒業。3回の転職を経て、携帯通信キャリアに勤務していた33歳のとき発達障害の診断を受ける。翌年、興味や特性を活かせる仕事へ転身し、レノボ・ジャパン株式会社のシニアアナリストとしてglobal supply chain individual award、Integrated Operation individual awardなどを受賞。発達障害のある人の「自律」や「主体性」発達の研究や普及活動を行い、2018年から現職。その他、日本LD学会LD-SKAIP委員会委員、筑波大学大学院非常勤講師など。著書:『発達障害の自分の育て方』(主婦の友社)。

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